天使のささやき

魂が帰りたがっている場所へ

世の中で起こる事、すべてウエルカムで!

生きてるからこそ、なのです。

自分の力ではどうしようもないことが、

この世にはなんと多いことか!


世界中の悩み、

全部自分が、

なんて感じて、

こころが塞いでしまうのは、

ある意味、慢心なのかと。

これは、自戒です。

とにかく、受け入れる。

理解できず、

納得できず、

不義を感じることがあっても、

とにかく受け入れて、

それらとともに、死ぬまで生ききるしかないのかな。

もちろん、自分がまいた種の場合であったとしても、

自分を責めないで。

甘い理屈でも、いいじゃない、

あなたが生きてることで、

誰かが助かっているのかも知れないから。

 

提案は実践とセットでないと信用しない

これやったらどう?
いいプランでしょ?
発案者知ってるよ?
すごい人だから紹介するよ。
頑張ってね。

こんな依頼があったとき、

あなたは動きますか?

少なくとも、
一緒にやりましょう、

か、
もう一息なので手伝ってくれませんか、

なら、私は動く。

提案は実践とセットではないと、

私のこころは動かない。

言いだしっぺがやらないのは、論外。

感じるままに生きるということ

夢中になれることがあるってのは、
シアワセなことだ。

なりふり構わず、
自分の信念にしたがって突っ走る。

その時はきっとアドレナリンも出まくって、
気持ちいいんだろうな、と思う。

自分も歩きの企画や人と会う計画をしてるときが、
一番楽しい。

そして、不思議なご縁があると、
さらに嬉しくて、のめりこみそうになる。

そんな時、どこまで入り込むか、
このへんは自分の直感と、
その時のメンタリティで変わるんだけど、
振り返ってみると、
やっぱり常識的なところで治まってるみたいだ。

それは、私のまわりに、
忌憚のない意見を言ってくれる人々がいるからだ。

今はちょっと前のめりすぎる感じもあるので、
ブレーキかけなきゃなぁ、と思いながらも、
やっぱり突き進みたい衝動にもかられている。

あー、やっぱりこうやって思考をしていると、
苦しくしくなるなあ。


感じるままに生きたい、
ただそれだけなんだけども。

 

 

贅沢な欲深さの沼から逃れるには

魂を揺さぶられる

あの映画を、

あの本を、

あの景色を、

ゆっくり味わいたい。

 

でもしなくちゃいけないことがたくさんあって…

 

そんな「しなくちゃいけない」は、

あれもこれもせねばと、

他者の目を気にする、欲深い自分が勝手に生み出した、

妄想の化け物。

 

贅沢な欲深さの沼から逃れるには、

捨てることが一番とわかってはいるのだが。

 

いよいよ、その覚悟をきめて行動しよう、
と思う今日この頃。

 

 

どうしよもうない、猜疑心と嫉妬という感情。

頑張って、

頑張って、

頑張って、

 

ついに!

 

その時の幸せな気持ちといったら。


でもその次にくるのはね、


猜疑心と嫉妬。


それは独占欲と執着心から。

有形無形に関わらず、

到達点そのものをゴールにし、

それを最大価値として、

自分のモノにしたい、テガラにしたい、

という考え方。

 

それは失うことの恐れと表裏一体。

 

あるがままに受け入れて、

大きな愛で包み込む。

 というレベルに、

人はなかなかなれない。

 

もちろん自分も。

 

疑うよりも、信じること。

ただただ、ひたすら信じて待つ。

その姿はとても美しくてかっこいい、

 

と昔友人から教わったことを、

ふと思いだした。 

 

そもそも、私のモノ!

という考え方が幻想なのだ。