天使のささやき

魂が帰りたがっている場所へ

感じるままに生きるということ

夢中になれることがあるってのは、
シアワセなことだ。

なりふり構わず、
自分の信念にしたがって突っ走る。

その時はきっとアドレナリンも出まくって、
気持ちいいんだろうな、と思う。

自分も歩きの企画や人と会う計画をしてるときが、
一番楽しい。

そして、不思議なご縁があると、
さらに嬉しくて、のめりこみそうになる。

そんな時、どこまで入り込むか、
このへんは自分の直感と、
その時のメンタリティで変わるんだけど、
振り返ってみると、
やっぱり常識的なところで治まってるみたいだ。

それは、私のまわりに、
忌憚のない意見を言ってくれる人々がいるからだ。

今はちょっと前のめりすぎる感じもあるので、
ブレーキかけなきゃなぁ、と思いながらも、
やっぱり突き進みたい衝動にもかられている。

あー、やっぱりこうやって思考をしていると、
苦しくしくなるなあ。


感じるままに生きたい、
ただそれだけなんだけども。

 

 

贅沢な欲深さの沼から逃れるには

魂を揺さぶられる

あの映画を、

あの本を、

あの景色を、

ゆっくり味わいたい。

 

でもしなくちゃいけないことがたくさんあって…

 

そんな「しなくちゃいけない」は、

あれもこれもせねばと、

他者の目を気にする、欲深い自分が勝手に生み出した、

妄想の化け物。

 

贅沢な欲深さの沼から逃れるには、

捨てることが一番とわかってはいるのだが。

 

いよいよ、その覚悟をきめて行動しよう、
と思う今日この頃。

 

 

どうしよもうない、猜疑心と嫉妬という感情。

頑張って、

頑張って、

頑張って、

 

ついに!

 

その時の幸せな気持ちといったら。


でもその次にくるのはね、


猜疑心と嫉妬。


それは独占欲と執着心から。

有形無形に関わらず、

到達点そのものをゴールにし、

それを最大価値として、

自分のモノにしたい、テガラにしたい、

という考え方。

 

それは失うことの恐れと表裏一体。

 

あるがままに受け入れて、

大きな愛で包み込む。

 というレベルに、

人はなかなかなれない。

 

もちろん自分も。

 

疑うよりも、信じること。

ただただ、ひたすら信じて待つ。

その姿はとても美しくてかっこいい、

 

と昔友人から教わったことを、

ふと思いだした。 

 

そもそも、私のモノ!

という考え方が幻想なのだ。

誕生日の夜に2017

41歳の誕生日の夜に、初ブログをはじめた。

 

10年後の自分はどうなっているだろうか。

世界はまだあるだろうか。

自分はまだ生きてるだろうか。

どこに向かっているだろうか。

 

そしてそれから10年後。

 

はからずも生死の淵を垣間見た。

 

運良く、ほんとに運良く、

今普通に生活しているのだけれど、

あの日からこの世の景色に、

違和感を感じるようになった。

 

何がどうかと言われると、

とても説明し難いが、

自分は生きているんじゃなくて、

何かに生かされている。

そんな感覚に囚われたのは間違いない。

そして内なる声はささやく。

感じるままに生きるよう、

魂が帰りたがっている場所に向かうよう。

 

だから11年目の誕生日の夜、

感じるままに、

正直な気持ちをここに書き連ねようと、

二つ目のブログをはじめた。

 

それが私にとって、

天使のささやきになるのか、

悪魔の誘惑になるかは、

知る由もないけれど。